【小早川 隆景 立志伝】#15「後瀬山の上にも三年。清水山城の上には一月、飯盛山城は修羅場!毛利の絆が明日を拓く!」
後瀬山城にひと当てした小早川隆景は女武将寿桂尼とまみえることになった。今川義元のママである。夫氏親、氏輝、義元の三代を支えて誤りがなかったというビックマムである。
宇喜多直家が「兵力が足りませんよ」として来ていたのだが戦勘がない隆景は「ひと当てしてダメなら退くだけだ」と出陣する。
しかしそれが悲劇の協奏曲となった。ふつう兵力を持っての力攻めは「一気呵成にやり遂げなければ損害ばかりが大きくなる」という実感が薄かったのだ。相手は分断された三好ではなく、連絡路ばっちりの織田氏である。
後瀬山城(のちせやまじょう)は今月は五千、次の月は八千と、雪ダルマ式に兵力動員数を増大させていく。
ついには「自分の支配城はどこだろう?」とのんきに構えていた隆景を以てして「とにかく動ける兵士は送り出せ!」と叫ばせるほどの叫喚を生み出していく。せめても攻めても落ちない後瀬山城が陥落したとき織田、小早川両軍は茫然として時を忘れた。
小早川隆景が「ひと当て」と言ってから実に三年後のことである。
しかしここでの小早川隆景の判断は冴えていた織田方が呆然としている間に清水山城へと兵を送り込んだのである。
後瀬山城で壮絶な消耗戦を繰り広げた織田氏は周囲の城から多大な兵力をかき集め、一時的な真空地帯を生み出してしまっていたのだ。
しかし一時は素晴らしい戦略眼を見せたと思われた小早川隆景も大きなミスを犯していた。
ゲーム内の時間は一月刻みであり、武将の移動は数日刻みであることを忘れていたのだ。
そして城の防御度を削るために何倍の兵力が必要なのかを実感していなかった。そう軍神と呼ばれた小早川隆景はパラレルワールドなので別次元での出来事なのだ(【小早川 隆景 立志伝】#06「軍神・小早川隆景!兵400で6000を退ける!」を参照)。
しかも初めて敵の城を落としてパパに下げ渡してもらった隆景には「壊した城壁は修理しないと役に立たない」という常識を経験していなかった。
こうして一瞬のひらめきで落とした清水山城は奪還され、苦心して落とした後瀬山城さえも10000を超える大軍に囲まれてしまう。
「兵糧米が足りない!!」
しかし城の防御度を信じて出陣する隆景。
こうして第二次後瀬山城攻防戦が始まった。内政大好きな隆景が兵を暇なく送り出す作業のために大お兄ちゃん隆元や仮想息子たちに城を委任統治させるほどの対織田戦線が本格化していく。
それからさらに三年後、北の後瀬山城に加え、何とか南の飯盛山城をも攻略して戦線を分散させた隆景はほっと一息つくのであった。
小兄ちゃん元春と違い、今が好機と一気に攻め込むような気迫も戦術眼も隆景にはない。
攻勢に入れば生産活動が鈍る。もっと国力を高めなければ隆景はそっと進出のボタンをクリックした。