映画で知るカンボジア内戦 洋画「キリング・フィールド」 ~ 予告編 ~
▶動画の概要
カンボジア内戦について、映画を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる洋画は「キリング・フィールド」
ロン・ノル時代からポル・ポト時代までを通してカンボジア内戦を扱った内容になっています。
▶ストーリー(ウィキペディアより)
アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグと、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。この時、シャンバーグはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意する。そして、シャンバーグとプランは取材活動を続けていく。
やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シャンバーグたちはフランス大使館に避難する。シャンバーグや他社の記者は、外国人であるから帰国により逃れることができるが、カンボジア人であるプランは逃げることができない。そこで、シャンバーグらはパスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策する。ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたため、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。そのためプランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。
集団農場では、人は特別な理由もなく銃殺されていく。農場への往復の際に徒歩ではなく荷馬車に乗っていただけで銃殺され、作業が緩慢という理由だけで銃殺される。また身分を隠していた元教師、元医師たちは、「クメール・ルージュは君たちを許す」という嘘にだまされて、身分を明かしてしまい、その結果、銃殺されていく。
プランは集団農場からの脱走を図る。その途中、プランが目にしたのはおびただしい人の白骨だった。プランは脱走に力尽き行き倒れてしまうが、別の集団農場の幹部に助けられ、その幹部の身の回りの世話をすることになる。
一方、シャンバーグはプランの行方を捜すが一向に消息をつかめない。ピューリッツァー賞を受賞した際に、カンボジアで取材仲間だった記者にプランを見捨てたと非難され、自責の念に駆られていく。
プランは、拾われた幹部に親身に扱われるが、元新聞記者であった経歴を隠そうとする。身分が明らかになると、元教師、元医師たちのように殺されてしまうかもしれないからだ。しかし、その努力も甲斐なく、BBC放送を隠れて聞いているところをその幹部に見つかってしまい、インテリであったことがばれてしまう。ところが、幹部はプランを銃殺せず、プランに自分の信条を話し出す。その幹部は、「カンボジアを愛しているが、クメール・ルージュのやり方は間違っている」と言う。そして「自分に万一のことがあったときは、自分の子供をつれて外国に逃亡してほしい」と地図と金を渡す。しばらくして、クメール・ルージュの銃殺をやめさせようとしたためにその幹部は殺されてしまう。
プランは幹部の子供を連れて他の仲間たちと国外への逃亡を図る。プランらは、幾多の苦難に遭いながら隣国への逃亡に成功するが、幹部の子供は途中で地雷によって死亡してしまう。その逃亡先の難民キャンプでプランは、シャンバーグとの再会を果たす。
▶カンボジア内戦について(ウィキペディアより)
カンボジア内戦は、東南アジアのカンボジアで、1970年にカンボジア王国が倒れてから、1993年にカンボジア国民議会選挙で民主政権が誕生するまでの内戦状態をいう。カンボジア紛争ともいう。
▶さらに知りたい人への参考リンク
【映画で知る民主カンボジア 洋画「キリング・フィールド」 ~ ポル・ポト時代の社会 ~】
https://youtu.be/xAvnLivZxhI
【映画で知るカンボジア・ベトナム戦争 洋画「キリング・フィールド」 ~ ベトナム軍のカンボジア侵攻 ~】
https://youtu.be/1e_d3odQQa4
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#カンボジア #キリングフィールド #空軍少尉