【小早川 隆景 立志伝】#13「小早川隆景軍団出陣!でも隆景の標的はパパたちの標的、いつもの謀略引き抜きかました隆景が出陣したとき三好氏は三好領最北の丹後の最後の一城堅城弓木城に武将三十五人籠り状態」
パパ就に軍団長に任命され、「三好討伐」を命じられた小早川隆景。
「五城をつけてやろう」と言われたけれどどの城かがわからない超新米軍団長隆景はとりあえず三好家の家紋(城)を探してみる。
四国阿波にひとーつ、摂津和泉付近にひとーつ、そして三好最後のお城は丹後京都の弓木城、もう三つしか残ってない。
「さすがは三つを好むお家柄(三好三兄弟とか、三好三人衆とか)」
ともあれ毛利&筒井家に絶賛分断され中であることはよいことだ。
ん、本当にそうか?
「攻めるには筒井氏と戦う可能性があるのでは!?」
回り道をすれば毛利領土から楽々侵攻できるようにも思えるが行ける行けると思ったら敵の同盟軍の大援軍が来襲して城を二度落とされ、三度目も危うかった経験をした隆景は慎重だった。
すなわち筒井家の家臣に謀略を仕掛けて叛心高めて引き抜いて弱体化あるいは不戦を約束させてから出陣する戦略をとったのだ。
しかしこれには大盲点があった。
密談仕掛けに出かけている隆景は出陣できないのだ。
しかし策は質より数だ。隆景は阿波徳島の攻略(たった一つの城だが)を家臣武将に任せ、謀略にいそしむ。
そして二つ目の城に侵攻するときもそうだった。
毛利パパ就の戦略指導によって三好攻略方面毛利軍は一糸乱れず、二城を落とす。
はっきり言って「切り取り勝手ぞ!」とか言われたけど城を陥落させてるのは援軍の力。
さすがにやばいと思ったので隆景は城開発なんかを放り出して最後の京都丹後の弓木城へと出陣するのであった。
もちろん城の武将と寝返りの約束はしてある。
そして小早川隆景直々出陣の最後の戦いが始まった。
当然勝てるはずが裏切りを約束した武将が出陣してきてない!
それでも力押しで(城防御度はたぶんパパ就の指示でみんなが下げていてくれた)勝利した隆景のもとに城の中から三十五人もの大量武将がまろびでてきた。
「あー、前仕えていた大内氏のときもこんな感じだったんだろうなぁ」
そう思った隆景は一人ひとりクリックして全員登用するのであった。
三好長慶は「ちょっと考えさせて」っていっていたけれども。
こうして人仕事を終えた隆景であったがすぐにパパ就から指令所が届く。
「織田家を討て! 今度は七城貸し与えるから・・・」
現在1582年、はたして・・・・