映画で知るベトナム戦争 洋画「フルメタル・ジャケット」 ~ フエ攻防戦 ~
▶動画の概要
ベトナム戦争について、映画を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる映画は「フルメタル・ジャケット」
「テト攻勢」におけるフエでの戦闘ついて取り扱っています。
▶ストーリー(ウィキペディアより抜粋)
前半では海兵隊訓練所で新兵が受ける過酷な訓練、後半では彼らのベトナムでの行動が描かれる。
(ストーリー前半)
ベトナム戦争時、アメリカ海兵隊に志願した青年たちは、サウスカロライナ州パリス・アイランドの海兵隊訓練キャンプで厳しい教練を受けることになる。
キャンプの鬼教官・ハートマン先任軍曹の指導のもとで行われる訓練は、徹底的な叱責と罵倒、殴る蹴るの体罰が加えられ続けるという、心身ともに過酷を極めるものだった。さらに連帯責任による懲罰、訓練生の間で行われるいじめなど閉鎖的な空間で受ける社会的ストレスが次々と描かれていく。
落ちこぼれだった訓練生レナードは、ジョーカーら同期生のサポートを受けて訓練をやり遂げ、最終的に射撃の才を認められ高い評価を得るが、過酷な訓練により精神に変調をきたしてしまい、卒業式の夜にハートマンを射殺した後、自ら命を絶つ。
(ストーリー後半)
厳しい訓練を耐え抜き一人前の海兵隊員となった彼らは、ベトナムへ送られる。テト攻勢の第一撃を受けた後、前線での取材を命じられた報道部員のジョーカーは、訓練所での同期であったカウボーイと再会し、彼が属する小隊に同行することとなる。ある日カウボーイたちは、情報部から敵の後退を知らされ、その確認のためにフエ市街に先遣される。しかし交戦地帯で小隊長が砲撃で戦死、さらに分隊長をブービートラップで失う。
残る下士官のカウボーイが部隊を引き継ぐも、進路を誤って転進しようとしたところに狙撃兵の待ち伏せを受け、2人の犠牲者を出す。無線で前線本部の指示を仰ごうとしたカウボーイは、廃ビルの陰に隠れたつもりが、崩れた壁の隙間から襲ってきた銃弾に倒されてしまう。残されたジョーカーらは狙撃兵への復讐を決意し、煙幕を焚いたうえで狙撃兵がいるとみられるビルに忍び込む。ジョーカーが見た狙撃兵の正体は、まだ若い少女だった。ジョーカーは狙撃兵から返り討ちにされそうになるが、駆け付けたラフターマンが彼女に銃弾を浴びせた。虫の息となった狙撃兵の少女は祈りながらとどめを刺すよう懇願し、ジョーカーは様々な思いの中で拳銃の引き金を引いた。
運よく五体満足で任期を終えられる期待に喜びを感じながら、ジョーカーらは高らかに歌いつつ、闇夜の戦場を行軍してゆく。
▶テト攻勢について(ウィキペディアより)
テト攻勢は、ベトナム戦争において1968年1月30日夜から展開された北ベトナム人民軍(NVA)及び南ベトナム解放民族戦線(NLF)による、南ベトナムに対する大攻勢である。
1月31日から2月24日にかけてフエで戦闘が展開され、街は多大な被害を被った。テト包囲戦の中で、およそ2,800人の官吏、警官、教師、学生が南ベトナム解放民族戦線の兵士によって殺害された。
▶ベトナム戦争について(ウィキペディアより)
ベトナム戦争は、当時南北に分断されていたベトナムで社会主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)と資本主義のベトナム共和国(南ベトナム)が争った戦争であり、冷戦中に起こった資本主義と社会主義の代理戦争であるとされる。ベトナムの南北両国では以前から対立が続いており、南ベトナム国内では北ベトナムに支援されたゲリラである南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が活動して南ベトナムの軍や警察などと争いが起こっていた。1964年8月2日にアメリカがトンキン湾事件を起こして参戦した事で一気に全面戦争に突入し、その後アメリカ軍が撤退し1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させるまで続いた。この戦争には南北両国やアメリカだけでなく、北ベトナムを支援するソ連や中国などの共産国や南ベトナムを支援する韓国やオーストラリアなどの反共国も参戦し、泥沼のゲリラ戦を行ったため多くの犠牲者を出す大変悲惨な結果となったためアメリカ軍は1973年に撤退した。なお、この戦争ではベトナムだけでなく、周辺諸国であるラオスやカンボジアも被害を受けている。これはそれぞれラオス内戦、カンボジア内戦と呼ばれており、1975年に3カ国とも社会主義化した事で終結した。
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