日本ハム モーニングサーブの新CM「ひと味ちがう、朝がきた」篇が配信され、日本ハムファイターズの新庄剛志監督がご出演
日本ハム モーニングサーブの新CM「ひと味ちがう、朝がきた」篇が配信され、日本ハムファイターズの新庄剛志監督がご出演されています。
「肉々しいを超えて、肉々々しい!」と叫ぶ新庄さんが印象的なCMなのですが、その昔発売していたものが復刻版として返ってくるそうです。
朝から肉々々しいなんてちょっと贅沢な気分というかパワーが出そうというか。
ちなみに概要の下にショートムービーもありますので、ぜひご覧ください。
概要
日本ハム株式会社(本社:大阪市北区、社長:畑佳秀)は、2004年~2014年に販売していた「モーニングサーブ」を2月1日に復刻発売します。
豚肉をスティック状に加工した細長いハンバーグのような形で、ふっくらとした食感でジューシーな味わいが特徴です。
アメリカでは同様の商品が「リンクス」と呼ばれ、朝食の定番として親しまれています。
忙しい朝でも簡単に調理でき、朝からしっかりと肉のたんぱく質を味わえる、朝食のマンネリ感を打破する“新定番”を提案します。
“肉々々しい”朝の新ジョーシキをご提案!「モーニングサーブ」2月1日(水)復刻発売~「ひと味ちがう、朝がきた。」新庄剛志によるWEB CMも2月1日より放映開始~
以下、Wikipediaより引用
新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年〈昭和47年〉1月28日 - )は、長崎県対馬市生まれ[4]、福岡県福岡市南区出身[1][2]の元プロ野球選手(外野手、内野手[注 1]、右投右打)。2022年シーズンより北海道日本ハムファイターズの監督を務める。2022年シーズンの監督としての愛称ならびに登録名はBIGBOSS(ビッグボス)[6][7]。タレント、実業家[注 2]、クリエイター(商品プロデューサー[注 2]、画家、YouTuberなど)、地方競馬全国協会(NAR)の馬主としての側面も持つ。
元妻はタレントの大河内志保。紺綬褒章受章(2007年)[10]。
概要
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プロ野球選手としてNPBで14年間プレーしたほか、MLBでも3年間プレーした元メジャーリーガーでもある。現役時代は意外性あふれる打撃と強肩を生かした守備で、規格外の人気を獲得した[11]。
阪神タイガース時代の1993年に記録した21歳8か月3日での先発4番出場は球団の歴代最年少記録である(2020年シーズン終了時点)[12]。2001年に日本人野手初のメジャーリーガーとなり[注 3]、2002年には日本人選手として初めてワールドシリーズ出場を果たした[注 4][13]。2004年よりの北海道日本ハムファイターズ時代の登録名は「SHINJO」であり、表記法をイニシャル以外でのアルファベットとするのはNPB史上初であった[注 5]。
ゴールデングラブ賞を計10回獲得している[15]。
愛称は「プリンス」「ツーさん」「BIG BOSS」など(後述)。また、印象的なプレースタイルや言動、立ち居振る舞いから「記録より記憶に残る選手」とも称される[16][17]。
2001年より2009年まで個人事務所・株式会社剛ゴーエンタープライズに所属し[18]、所属期間の途中よりは事務所とアワーソングスクリエイティブが業務提携してのタレント活動等のマネジメントを受けた[19][20]。2008年に株式会社レハサフを設立して、2013年の会社閉鎖まで経営した(後述)[21]。タレント活動等のマネジメントを自社から受けていた期間を経て、以降のマネジメント契約先は、2012年はプラファー、2013年よりエージェントオフィスタクト[21]、2018年よりZE MANAGEMENT。
2006年限りで現役から引退した後にインドネシア・バリ島へ移住した[22]。2019年に再びプロ野球選手を目指すことを公表し、引退時には任意引退の手続きがとられていたため、同年11月27日付でNPBより自由契約選手として公示された[23]。
2022年シーズンより北海道日本ハムファイターズの監督に就任。NPBでの登録をシーズン開幕前日の3月24日に「BIGBOSS(読み方:ビッグボス)」に変更している[24]。
2ーグからのオファーを断ったことを明かし[226]、トライアウト後にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが獲得の意向を示したと報じられた際にも「多分48歳なので、すいませんが」というメッセージで事実上断る意向を示している[227]。2021年4月18日に、長野オリンピックスタジアムで開催されたルートインBCリーグ公式戦(信濃グランセローズ対新潟)の始球式を務めた際のミニトークショーで「独立リーグも考えたけど、体力的にちょっと…」と独立リーグを断念した事情を述べた[228]。
日本ハム監督時代
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2021年、北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督が同シーズン限りで退任することが明らかとなり、10月26日、後任の監督として新庄に内定したとの報道がされた[229][注 22]。その後、10月29日に日本ハム球団から正式に2022年シーズンからの監督就任のオファーを受け、受諾したことが発表された[230]。2006年の現役引退から16年ぶりのNPB復帰となる。球団出身者が監督に就任したのは、2000年から2002年まで監督を務めた大島康徳以来、また北海道移転後のOBが監督になるのは初。11月4日に就任会見が行われ、年俸は推定1億円の1年契約、背番号は日本ハム選手時代に使用した番号で、2021年限りで引退した斎藤佑樹がつけていた1となることが明らかとなった。また、就任記者会見時に報道陣に手渡された名刺では自らの役職について「監督」ではなく「ビッグボス」と記載されており、会見の場でもそのように呼んでほしいと語ったことも話題を集めた[231]。その後、2022年3月24日、実際に登録名をBIGBOSSへ変更した[232]。 2022年9月28日、北海道移転後の初代本拠地だった札幌ドームでの最終試合となったロッテ戦終了後のセレモニーで、シーズン最下位となったことを自ら詫び、「本当に短い1年でしたけど、今シーズンをもって"BIGBOSS"のユニフォームを脱ぎます!」と宣言し、「BIGBOSS」と書かれたユニフォームをマウンドに置き、グラウンドを後にする。その後「SHINJO」と書かれたユニフォームをまとい再び登場すると、「今日(9月28日)、(球団)社長から、希望でしかないファイターズの指揮を来年も執ってほしいと言われました。その返事は、まだ、してません」と述べ、