映画で知るドイツ(戦間期) 洋画「裏切りの日々」 ~謀略宣伝としての閲兵~
▶動画の概要
戦間期(第一次大戦と第二次大戦の中間期)のドイツについて、映画を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる洋画は「裏切りの日々」
ズデーテン危機におけるドイツの強硬姿勢に真実味をもたせるべく、ヒトラーの閲兵光景を宣伝として利用しよとする内容です。
▶チェコスロバキアとドイツの領土問題(ウィキペディアより)
現在のチェコの領土にあたる、ボヘミア・モラビアは、ボヘミア人(チェコ人)が大多数居住していたものの、神聖ローマ帝国以来のドイツ人支配地域であった。しかし第一次世界大戦においてチェコスロバキア主義を掲げたトマーシュ・マサリクらの独立運動、ヴェルサイユ条約およびサン=ジェルマン条約、トリアノン条約によってボヘミアとモラビアにはチェコスロバキア国家の成立が定められた。また、ボヘミアの周縁部にはドイツ人が多く住んでおり、この地域をズデーテン地方として自治を求めるズデーテン・ドイツ人党などの政治運動が活発になっていた。チェコスロバキア政府はドイツ人の勢力拡張を恐れ、ドイツ人を公務員に登用しないなどの措置をとっていた。これはドイツ人にとって不公平な差別であり、ズデーテン・ドイツ人の反発は強まった。
▶難航する交渉(ウィキペディアより)
1938年9月25日から26日の間に英仏首脳は会談し、「フランスがチェコスロバキアとの同盟関係の上でナチス・ドイツに参戦した場合、イギリスはフランスを支援する」ことを確認した。チェンバレンはヒトラーに親書を送り、ヒトラーとベネシュの会談を仲介する考えを伝えた。しかしヒトラーは9月26日に少数民族の問題が解決すればチェコの領土に関心を持たない事を保証する、「我々は一人のチェコ人も欲しくはない」と声明し、ベネシュ大統領を激しく非難するのみで交渉を拒絶した。さらにヒトラーは9月27日、9月28日午後2時までに領土引き渡しが行われない場合、チェコに侵攻する意思を英仏に伝え、英仏がそれに対して介入を行うと警告しても「それでは我々は皆、来週には戦争に入るだろう!」と恫喝し交渉は暗礁に乗り上げた。
フランスのボネ外相と、チェコスロバキアのベネシュ大統領はアメリカの仲介を望んだが、孤立主義者に配慮したアメリカ政府からは芳しい反応は返ってこなかった。一方でフランクリン・ルーズベルト大統領は、イタリアのベニート・ムッソリーニ首相に仲介者となるよう要請する親書を送っている。またソビエト連邦はチェコスロバキアをフランスが軍事的に支援する場合にはソ連も支援を行うと言う声明を行っている。
イギリスの内閣ではチェンバレンがドイツにズデーテン地方を渡すべきだと唱え、外相ハリファックス伯やダフ・クーパー海軍大臣は反対したものの、ヒトラーの人格を信頼するようになったチェンバレンは受け入れなかった。この間にイギリスの陸海空三軍の参謀総長は、戦争となった場合にチェコ防衛は不可能であり、陸と空においてドイツ軍が優勢になり、戦争は長期化が避けられないという見解を内閣に示している。
▶ナチス・ドイツの概要について(ウィキペディアより)
ナチス・ドイツは、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権下の、1933年から1945年までのドイツ国の通称である。
社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強要される全体主義国家と化した。1939年9月1日のポーランド侵攻が英仏の宣戦を招き、第二次世界大戦を引き起こした。一時的に欧州のほぼ全土を支配下に置いたものの次第に戦況は悪化し、1943年の後半には完全な劣勢に立たされるようになった。1945年に行われた赤軍によるベルリンの戦いを前にヒトラーが自殺した。その後、ヒトラーの遺言によりカール・デーニッツが大統領となり、暫定政権としてフレンスブルク政府が短期間存在した。その後、1945年5月7日に連合国軍に敗北した。中央政府の不在が宣言され、解体されて滅亡した。
★★この動画の再生リスト(ドイツ【戦間期】)★★
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