映画で知るユーゴスラビア人民解放戦争 洋画「夕焼けの戦場」 ~ 婦女暴行 ~
▶動画の概要
ユーゴスラビア人民解放戦争について、映画を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる洋画は「夕焼けの戦場」
ユーゴスラビア人民解放戦争におけるコザラ攻勢(第3次反パルチザン攻勢における戦いのひとつ)について描かれた作品です。
▶参考:第3次反パルチザン攻勢(ウィキペディアより)
1942年の春に枢軸勢力によって、ボスニア東部からモンテネグロ、サンジャクおよびヘルツェゴヴィナにかけて行われた。この攻勢はドイツ側では「トリオ作戦」と呼ばれたが、パルティザンは辛くも脱出に成功した。
▶参考:コザラ攻勢(ウィキペディアより)
1942年の春、ボスニア中部と西部のパルチザンは、ボサンスキペトロヴァック、ドルヴァル、グラモチ、プリイェドルを解放した。5月20日には第1クラジナ突撃旅団が設立されることとなった。この頃、解放地区は、サヴァ川から南にコザラ山とグルメッチ山を越えて広がってた。
冬の間、パルチザンはドイツ人に大きな犠牲を強いたものの、パルチザンは「コマンダント・ムラデン」として知られる彼らの有能な指揮官ムラデン・ストヤノビッチを失うことになった。
ドイツとウスタシャ当局はバニャ・ルカ及び鉄鉱山Ljubijaが危険にさらされていたため、抵抗運動を破壊すべく攻勢を準備した。ドイツ軍は約15,000人の兵士を、クロアチアは約21,000人の兵士を動員し、ハンガリーは5隻の監視船をもって作戦に参加した。
パルチザングループには約3,000人の兵士が存在し、また、解放地区の60,000人の民間人から予備軍を募集した。7月3日の夜の激しい戦闘の後、一部のパルチザン部隊が包囲を破ったものの、主力は翌夜再び包囲され、ほとんど壊滅させられることとなった。シロカルカでは、約500人の負傷したパルチザンが殺害された。戦闘中にパルチザンは約1,700人の兵士を失い、枢軸国軍側は約7,000人を失ったと推定されている。
戦闘中および戦闘後、コザラからの何千人ものセルビア人(民間人)がウスタシャヤセノヴァツ強制収容所に送られることとなった。
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#ユーゴスラビア #パルチザン #空軍少尉