特番で知るイギリス(戦間期) 特番「ヒトラー」 ~ヒトラーとの会談~ 【日本語解説】
▶動画の概要
戦間期(第一次大戦と第二次大戦の中間期)のイギリスについて、特番を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる特番は「ヒトラー」
ズデーテン危機が大戦にエスカレートすることを回避するために、英国首相ネヴィル・チェンバレンが、アドルフ・ヒトラーと首脳会談をおこなう内容です。
▶チェコスロバキアとドイツの領土問題(ウィキペディアより)
現在のチェコの領土にあたる、ボヘミア・モラビアは、ボヘミア人(チェコ人)が大多数居住していたものの、神聖ローマ帝国以来のドイツ人支配地域であった。しかし第一次世界大戦においてチェコスロバキア主義を掲げたトマーシュ・マサリクらの独立運動、ヴェルサイユ条約およびサン=ジェルマン条約、トリアノン条約によってボヘミアとモラビアにはチェコスロバキア国家の成立が定められた。また、ボヘミアの周縁部にはドイツ人が多く住んでおり、この地域をズデーテン地方として自治を求めるズデーテン・ドイツ人党などの政治運動が活発になっていた。チェコスロバキア政府はドイツ人の勢力拡張を恐れ、ドイツ人を公務員に登用しないなどの措置をとっていた。これはドイツ人にとって不公平な差別であり、ズデーテン・ドイツ人の反発は強まった。
▶ズデーテン危機(ウィキペディアより)
1938年3月、念願のオーストリア併合を達成したヒトラーは、次の領土的野心をチェコスロバキアに向けた。そして4月には対チェコ作戦(コードネーム“緑の件”)が立案され、次のように軍に指示した。
・どんな原因もなく、また正当化の余地もないような青天の霹靂的奇襲は拒否。
・一時的に外交交渉を行い、徐々に事態を先鋭化しつつ戦争に導く。
・戦闘は陸軍と空軍の同時攻撃の必要あり。最初の4日間の軍事行動が政治的にも決定的。もしこの間に軍事上の決定的な成功がなければ、全欧危機に突入するのは確実。
上のような公文書を出した後、ヒトラーは行動を開始した。彼は、チェコ国内のドイツとの国境沿いの地域に多数のドイツ系住民(ズデーテン・ドイツ人)がいることを対チェコスロバキア戦略の重要な駒とした。まずオーストリア併合によって勢いづいているズデーテン・ドイツ人にドイツ本国から大々的な支援を送り、自治運動を展開させた。さらに宣伝機関によって「圧迫されているズデーテンのドイツ人」という宣伝を国内に流し、ドイツ世論をも勢いづけた。しかしチェコスロバキアはドイツの動きを察知すると軍の動員を行う強硬姿勢を見せた。ドイツ国防軍の見通しも慎重であったため、ヒトラーは一旦侵攻を見送った。しかし、この事で小国チェコスロバキアがヒトラーに勝利したという新聞報道が各国で行われ、ヒトラーをチェコスロバキア問題への対応に駆り立てることになったという観測もある。
ヒトラーは戦術を転換し、チェコのベネシュ大統領個人を、「ドイツとチェコの障害になっているのはドイツ人の民族自決権を認めようとしないチェコ側の態度である」とした恫喝的演説を繰り返した。さらに、「事態をこのまま放置しておけばヨーロッパ中がチェコの頑迷の巻き添えを喰らうことになる」などと、ラジオと映画をフルに使って恐怖を煽り立てた。そのためズデーテン危機は欧州の重要な問題となり、ヒトラーが対チェコスロバキア宣戦を行うという観測が強まった。
9月6日からはニュルンベルクでナチス党の第10回党大会が数日間にわたって行われることになっていた。9月12日にはヒトラーの演説が予定されており、この機に宣戦布告を行うのではないかという報道が駆けめぐった。9月7日、ズデーテン・ドイツ人党党首コンラート・ヘンラインは対チェコスロバキア政府との交渉を断絶する通告を行った。
9月12日、ヒトラーはズデーテンドイツ人の公正な処遇を求める演説を行った。宣戦布告はなかったが、翌日の9月13日には自治を求めるドイツ人がデモを行って警官隊と衝突し、プラハで非常事態宣言が出される事態となった。イギリス政府はヘンダースン駐独大使を介してゲーリングに英仏による仲介を呼び掛けたり、政府からのヒトラーへの報復措置を封じるなどの様々な呼びかけを行っていた。当時ヒトラー自身は、強気の態度を取り、イギリスの介入はあり得ないと読んでいたが、内心かなり不安だったようで、ハンス・フランクに「薄氷を踏んで深淵を渡る心地だ。だが、深淵は越えねばならない。」とその心境を吐露している。
これを憂慮したフランス首相エドゥアール・ダラディエは、イギリス首相ネヴィル・チェンバレンにヒトラーを含む首脳会談の開催を提案した。チェンバレンは戦争回避のため自らドイツに出向いてヒトラーと会見する意志を固め、9月15日にベルヒテスガーデンでヒトラーとチェンバレンによる英独首脳会談が行われた。次の首脳会談までの間武力行使は行わないというヒトラーの約束をとりつけたチェンバレンは、内閣と協議するため一時帰国した。
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それでは、次回の動画でお会いしましょう。ご視聴ありがとうございました。
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