映画で知るベルギー領コンゴ 洋画「ルムンバの叫び」 ~政治集会、公安軍の手入れ~
▶動画の概要
ベルギー領コンゴについて、映画を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる洋画は「ルムンバの叫び」
植民地体制からの独立を目指す政治集会に、公安軍(植民地軍)が摘発をおこなう内容です。
▶公安軍について(ウィキペディアより)
公安軍はコンゴ自由国支配のために1885年に創設されたベルギーのレオポルド2世の私設軍で警察を兼ねた。総督のカミーユ・コクラットの元で組織され、そのままベルギー領コンゴ軍、コンゴ共和国軍となった。設立当初から廃止まで、ベルギー正規軍出身者とその他の国出身の何れも白人の将校が指揮し、アフリカ人(コンゴ人)兵が戦う形であったが一部のアフリカ人はある程度まで昇進する場合もあった。
ベルギー領コンゴとなると公安軍は21の中隊に再編され、兵数は砲兵と工兵を含め12,100人に上った。それらの中隊名はアルウィミ、バンガラ、低地コンゴ、赤道、滝、イトゥリ、カサイ、クワンゴ、レオポルド2世湖、ルアラバ、ルロンゴ、マクラカス、マクア=ボモカディ、ポンチエヴィル、ルビ、ルジジ=キヴ、スタンリー滝、スタンリー湖、ウバンギ、ウエレ=ビリである。2,400人以上を収容する6つの訓練キャンプも設けられた。一中隊600人前後となったが軍事的能力は乏しかった。行政中隊には150人の一辺境中隊が当てられ、辺境中隊及び野戦中隊毎に4人のベルギー人将校が付き、自由国時代のヨーロッパ人傭兵将校と入れ替わった。
2,875人からなるカタンガ部隊は6中隊からなる半独立部隊とされ、4辺境中隊と2歩兵中隊、1自転車中隊と大隊本部が置かれた。
砲兵工兵中隊がコンゴ川河口のボマ砦に置かれた。ボマ砦には8門の 160mm砲と200人の兵が備えられたが実戦で活動することはほとんどなかった。
1914年時点でカタンガ部隊を含めた兵数は約17,000人で、ポストと呼ばれる拠点を中心に警察活動を行った。カタンガのみは3大隊に編制された。装備は単発式の11mmのアルビニー銃であった。軍服は青の制服に赤の襟巻きとフェズと呼ばれる帽子にサッシュと呼ばれる布ベルトであった。この服装は1915年から1917年にカーキ色のものに替えられるまで自由国時代から変更されなかった。入隊期間は7年とされた。訓練を受けていたが、典型的植民地軍となった。
第一次世界大戦時にはベルギーは連合国側に遅れて参戦し、公安軍はベルギー植民地軍として15大隊からなるキヴ、ルジジ、タンガニーカの3旅団 に編制されアフリカ戦線に加わり、カメルーン、ドイツ領東アフリカに侵攻した。
第二次世界大戦にも連合国側で東アフリカ戦線及び中東方面へ参戦した。
評判の悪い鞭が廃止されたのは1955年で、1959年公安軍の領域警備部隊から独立して憲兵隊が設けられた。
▶ベルギー領コンゴについて(ウィキペディアより)
ベルギー領コンゴは、かつてアフリカに存在したベルギーの植民地である。現在のコンゴ民主共和国を領域とする。ベルギー国王レオポルド2世が、その私領コンゴ自由国の支配権をベルギー政府に委譲した1908年11月15日から、コンゴ民主共和国として独立する1960年6月30日まで存在した。
★★この動画の再生リスト(コンゴ【ザイールを含む】)★★
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